絵本出版記念: 大岩オスカール "はじめてアート"
2023年4月29日-6月4日
世界を書き換える、アート
上手にピアノがひけたり、上手に絵が描ける人だけがアーティストではありません。アートを心から感じることができ、見ることができる人もアーティストなのです。(アレクサンダー・カルダー、パブロ・ピカソ、ジョアン・ミロ、マルセル・デュシャン、キース・へリング、大岩オスカール)
——『はじめてアート』解説より
私があらためて、大岩オスカールの作品に出会ったのは、パンデミックによって一変したニューヨークの街を日記調に伝えた「Quarantine drawing series」(2020年)である。デジタルの緻密な線で描きこまれた日常は、等身大の空間に圧縮された時間の層の連なりのように感じられ、いつまでも見入っていた。その後、東京都現代美術館で《クイーンズボロ橋、ニューヨーク》を観た時、圧縮された時間が解放されていく場に、ほかの観客たちとともに立ち会ったような感覚を覚えたことが、深く印象に残っている。マンハッタンの自宅から自転車に乗り、クイーンズボロ橋を渡る大岩の後ろ姿は、私にとっての日常とも重なる。しかし、その視線の先に想像されるのは2020年4月のニューヨークの新型コロナウイルス大流行だ。この一連の体験は私に、他者への想像力を喚起するアートの力を感じさせた。それに飽き足らず、自分も何かを始めようと思い立った瞬間でもあった。
2023年2月に大岩の『はじめてアート』が28年ぶりに再版され、初版の原画を観た時、新たな時間が流れ始めるのを感じている。なにしろ、28年という歳月は10歳の少年が大人になるのに十分な時間であり、ひとつの世代を経て次の世代へとバトンタッチする時間のサイクルである。紙焼きの写真からデジタルデータへ、カメラからスマートフォンへと記録メディアの推移も窺える。今、10歳の少年の眼は何をとらえようとしているのだろうか。冒頭に示した解説は、「アーティストになろう」からの引用であるが、つくることだけでなく見ることが促されているところに、本書の特徴がある。主人公の少年が一人称の視点で世界と出会い、さまざまな現象を「アート」として認識していく。少年にとって身近な家族それぞれの立場から「アート」を考える場面もある。見ることを通して、世界の差異をとらえるものさしが増えていくのだ。その端々に実在するアーティストによる作品のイメージが織り込まれており、見ることの歴史という長い時間軸との間を行き来することもできる。初版と再版で何が変化したのか、比較する楽しみもあるだろう。(好きなサッカー選手や食べ物が変化しているのも、時代の変化か。)
最後に、「はじめてアート」について少しだけ考えてみたい。「初めて見ること」と「始めてみること」、言葉の綾と言われればそれまでかもしれないが、両者は互いに密接に結びついているように思えてならない。なぜならば、普段信じているものの見え方が崩れ去る時に初めて、人は見ることについて自覚するからだ。美術批評家の東野芳明は「現代観衆論—今日の芸術がめざすもの」(『展望』1967年5月)の中で、観衆の自己保身を指摘し、それが崩れ去る状況を「自己崩壊」と呼んでいる。世界と出会いなおす動機をもたらし、実行に移すこと。それこそが「アート」にまつわる本書の謎かけに思え、いたずらっぽく笑う大岩の姿が重なって見えるのだ。
伊村靖子(国立新美術館 主任研究員)
Oscar Oiwa
Quarantine Drawing Series
「Qeensboro Bridge, New York/ クイーンズボロ橋、ニューヨーク」
2020年